この寺は、文禄3年(1594)、豊臣秀吉の建立されたものです。
しかし焼失し、元和7年(1621)、伏見城の遺構を移し再建されました。
本堂の廊下の天井は血天井と伝えられます。
伏見城が落ちた際、鳥居元忠らが自刃した廊下の板が使われています。
本堂の杉戸に描かれた白象や唐獅子、キリンの絵は、俵屋宗達の筆と伝えられています。
狩野山楽の障壁画もあり、豊かな歴史をかいま見ることができます。豊臣秀吉の側室淀殿が父浅井長政の追善の為、長政の二十一回忌に秀吉に願って養源院を建立し長政の従弟で叡山の僧であった成伯法印を開山とし、長政の院号を以って寺号としたのは文禄3年5月(1594)です。其後程なく火災にあい、元和7年(1621)徳川秀忠が夫人崇源院殿の願により伏見城の遺構を移建したのが今の本堂です。
以来徳川家の菩堤所となり、歴代将軍の位
牌を祀って居ます。
血天井は、この本堂の左右と正面の三方の廊下の天井は伏見城落城の時、鳥居元忠以下の将士が城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を天井として其の霊を弔ったもので世に血天井と称して名高い。
宗達襖杉戸絵は、この本堂の襖(十二面)杉戸(八面)の絵は俵屋宗達の筆で、自刃した将士の英霊を懸める為に「お念仏、御回向」にちなんだ絵を画いたもので、杉戸には象や獅子や麒麟等の珍しい行動を画いている。
狩野山楽の襖絵は、玄関の左の方に太閤秀吉の学問所とした牡丹の間があります。
狩野山楽が牡丹の折枝の散らした図案的な襖絵を画いています。
鶯張廊下は、本堂の廊下は総て左甚五郎の造ったうぐいす張りで有名です。